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広島地方裁判所 昭和35年(わ)162号 判決

被告人 渡康磨

大一五・一〇・一生 農業

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、広島県安佐郡可部町大字可部所在の太田川漁業協同組合が漁業権の免許を有する太田川水域において漁業を営まんとして結成された自称太田川地区漁業協同組合(未だ所轄行政庁の設立許可を受けていない)の組合長として就任していた者であるが、右水域内では太田川漁業協同組合の所属組合員および同組合より入漁権を得た者、または採捕の許可を受けた者でなければ魚族の採捕ができないのに拘らず、

第一、昭和三四年六月から同年八月頃までの間、前後約十数回に亘り、前記水域内にある安佐郡安佐町字久地、中国電力間の平発電所下流の通称藤波の瀬付近において、勝手にアユ掛け漁業を営み相当数のアユを採捕し、もつて太田川漁業協同組合の漁業権を侵害し、

第二、同年五月二五日頃、前記太田川地区漁業協同組合所属の組合員である小田三郎、住木宗次郎、的場台造、弘法守等に対し、右組合名義の「組合員之証」を交付したうえ、右組合長渡康磨名義の「組合員之証交付について」と題する文書等により「前記水域に出漁しても漁業法違反ではない。右組合員之証により出漁されたい。出漁についての全責任は組合長渡康磨が持つ。」旨申し向けて、前記水域において何等漁業を営む権利のない同人等をして、それぞれ出漁の決意をなさしめ、前記小田三郎については、同年六月三日、安佐郡佐東町字上八木、住木宗次郎については同月七日、同郡可部町字荒下亀山発電所付近、的場台造については右同日、同郡安佐町字迫崎、弘法守については、同月一〇日同郡佐東町大字川内建設省工事事務所前付近の各太田川水域において、夫々勝手にあゆ掛け漁業を行い相当数のアユを採捕し、太田川漁業協同組合の漁業権を侵害するに至らしめ、もつて同人等の犯行を各教唆し

たものであるというにある。

二、本件発生に至るまでの経緯について、

被告人の第一六、一九回公判調書中の各供述部分(中略)によれば次の事実を認定することができる。

(一)  太田川漁業協同組合(以下仮に第一組合と略称する)について、

(イ)  (設立)右組合は水産業協同組合法に基いて設立され、昭和二六年八月二五日、行政庁により設立を認可され、同年九月一日、広島県知事により太田川水域について第二種および第五種の共同漁業権の免許を受けた。(組織)設立頭初より本件発生当時まで、右組合代表者理事(組合長)は佐々木節吾であつた。組合設立当時は、組合員の資格には特段の制限がなく、加入希望者は申込書に出資金二〇〇円を添えて組合に申請すれば、だれでも組合員となれたため、約七〇〇名の組合員があつた。そして、右水域においてアユの採捕をしようとする者は、右組合員であると否とを問わず各年度ごとに漁業料を組合に支払つて漁業鑑札を受けなければならず、遊漁者も同様の手続で採捕許可を受けた者でなければ採捕できず、組合としては組合員からの鑑札の交付の要求には、当然応じねばならないが、遊漁者に対しては鑑札を与えるかどうかは組合長の裁量に委ねられていた。しかし、右のような資格の差にも拘らず、全採捕者に対する漁業鑑札としては一様に「組合員許可証」の表示のある鑑札を渡しており、その外観上の表示のうえからは、組合員と非組合員の区別はつかなかつた状態であつた。(活動)右、第一組合においてはその有する漁業権の行使を実効あらしめるため、例年漁期前にはアユの稚魚を放流してきたもので、昭和三四年の漁期前にも約七〇万尾のアユ稚魚を放流して、これを育成していたものである。

(ロ)  (補償問題の発生)昭和三三年初め頃、中国電力株式会社が、右第一組合の免許水域内に水力発電所を建設することを決定し、この建設に伴う損失補償金の配分の適正を期しその混乱を避けるため、広島県水産課(以下単に県当局と称する)から第一組合に対し、組合員の資格を有する者のみをもつて組合を運営するようにとの通達があつた。(資格の審査)これに応じ第一組合では、理事、監査、ならびに総会で選出された二〇名余りの委員を加えた資格審査委員会を設け、昭和二九年に定款第一四条に基き除名処分にした約三〇〇名を除いた組合員を対象に、豪雨出水時にのみ漁獲するニゴリカキ漁業をする者、昭和二九年以来漁業鑑札を受けず漁業に従事したことがなかつたもの、官公庁および会社などに就職して他に本職を有する者等々の基準に従つて組合員の資格を審査し、昭和三三年九月二五日、右のいずれかに該当する者一三一名を失格処分にした。第一組合は中国電力株式会社から損失補償金として、同年一〇月および一一月にそれぞれ三、五〇〇万円、合計七、〇〇〇万円の補償金を受け、これを先に確定した組合員三一九名に対し第一組合各地区の配分委員を通じて配分した。(被告人の地位)被告人は昭和二五年頃から年間平均約百四、五十日間を太田川において漁業をして生活してきたもので、昭和三一年ないし同三三年の三年間のアユを主とした年間平均漁獲高が約三、七五〇ないし四、〇五〇尾、その価格約一三二、五〇〇円ないし一四五、二五〇円であつて、これは格別資産もなくまた良職にあるとも認められない被告人にとつては年間生活費の相当部分に当るものと推認されるところであり、また第一組合設立当時からの組合員で専漁者でもある実父渡伝市の代理ないしは自ら漁業をする者として第一組合の総会などの会合にも出席してきており、昭和三二、三三年度においても自ら「組合員許可証」の交付を受けて右のようにアユの採捕にあたつてきていた者であるが、正式の組合員ではなかつた。また補償問題で資格審査のあつた昭和三三年九月頃、中村、河内ほか七〇名余りの者と一緒に第一組合へ加入の申込をしたが、補償金目当てと目されて、その加入を認められなかつた。

(二)  太田川地区漁業協同組合(以下仮に第二組合と略称する)について、

(イ)  (新しい団体結成の動き)第一組合は、昭和二九年除名処分にした者に対して正規の手続に従い十分な弁明の機会も与えたこともなく、また被処分者に対する通知も昭和三三年の補償問題が生じたのちはじめて、「お前達はすでに除名されて組合員ではない。」旨伝えており、そのため、その間何も知らずに第一組合の総会に出席していた被処分者達の非難を受ける結果になり、また前記資格審査により失格処分になつた者の一部にも同じく不満を抱く者があり、さらに第一組合においては昭和二六年の同組合発足当時を除いてその組合員の実態を適格に把握する帳簿その他の資料が整備しておらず、かつ組合員以外の者に対しても組合員に与えられる鑑札と同じ「組合員許可証」という漁業鑑札を発行し―それにより第一組合員であると考えていた者も多い―、しかもその不足を組合長佐々木節吾の名刺をもつてこれに代えていたという不統一な取扱いも手伝い、毎年、右鑑札を受け年間三〇日以上出漁し、これによりある程度生活を維持してきた実績を有する人達さえ組合員でないという形式的理由で補償金が配分されないことになり、ここにおいて、この補償問題に不満を持つ人達は中国電力発電所建設工事に伴つて損害を蒙るのは、このように漁業によりある程度生活を維持してきた実績のある者も同様であるからその補償は太田川沿岸の漁業者に対してなさるべきであるという意見の下に集り、昭和三四年初め頃、中国電力との交渉にはいつたが、補償は組合に対するものではなく、漁業者に対するものであるから、第一組合と交渉してくれるようにとの解答を得たゞけであつた。(団体の結成)ところで、このような補償金をめぐる一団の人々の動きに対して、第一組合長佐々木が「これまでは組合員でないのに鑑札をやつておつたのだが、補償金をくれといつて文句をいうやつは、今度は鑑札を出さん。」と組合総会の席上などで発言し、このことが右一団の人々の間に伝えられるや、「三四年度にアユが採れないようでは生活に困る、佐々木組合長の恣意的、専断的な採捕許可をまつよりか、新組合を結成して自己らにおいて漁業権を取得して入漁しよう。」ということに話しが進み、昭和三四年二月二五日、県当局に対して、被告人渡ほか一九名を設立発起人として、約三八〇名余りの設立同意者を擁する第二組合設立認可の申請がなされた。(被告人らの地位)被告人は、前記のように過去の採捕の実績もあり、かつ「組合員許可証」の交付を受けていたので、自らも漁をして生活をする者として前述のように第一組合の総会へも出席していたことなどの事実があつたにもかかわらず、先にみたように第一組合の組合員としての形式的な加入手続を経ていなかつたため(除名ないし資格喪失によるものではない)、遂に一方的に右漁業補償の対象外に置かれたので同じ不満をもつ人達と一緒に中国電力に対し補償の交渉をし、さらに第二組合設立の運動を続け、公訴事実第二記載の的場台造および弘法守はいずれも昭和三二、三三年度において、同じく小田三郎および住木宗次郎はいずれも昭和三三年度において、それぞれ相当量のアユ漁の実績があり、右第二組合所属組合員となるべくその設立認可申請書に名を連らねていたものである。

(ロ)  (調停案の成立)第二組合設立認可申請を受けた県当局としては、法律的には右設立の認可をすることが可能であるとしても、同一対象水域内に二つの漁業組合が併存し、その両組合員が入りまじつて操業することになれば事実上混乱を招来し易く、しかもその相互の権利の調整等の問題が容易に解決されない結果となり、到底円満な操業を期することは困難ではあるまいかとの行政上の考えの下に両者間に調停を成立せしめたうえ第二組合をしてその設立認可申請を撤回させようと努めた結果、昭和三四年五月一〇日に県当局は右両組合に対して「昭和三二年、三三年両年度のうち、いずれかの年度において採捕の許可を受けている者は採捕許可を受けられる。該当者は右事実を証する書面―許可証ないしはその実績を証する書面―を添付し、採捕許可願を県を経て第一組合に提出する。第一組合は右を審査し適格者に昭和三四年度の採捕許可証を出す。この解決案を第二組合設立発起人が応諾した場合、直ちに設立認可申請書を取下げるものとする。」という内容の解決案を示したところ第二組合側はすぐこれを了承した。(認可申請の取下げ)翌五月一一日、第一組合側も右解決案に同意し、第二組合としても、もともと組合設立の動機が、漁ができるようにということであり、一方において新組合設立を申請し、他方において第一組合に採捕の許可を出せと要求するのは具合が悪いというので、同日、第二組合は、右組合設立認可の申請を取下げた。

三、本件公訴事実についての当裁判所の判断

(一)  第一の事実につき

第一回公判調書中の被告人の供述部分、第四回公判調書中の証人藤川武人、第五回公判調書中の証人高岡伊徳の各供述部分によつてこれを認める。

(二)  第二の事実につき

被告人の第一六回公判調書中の供述部分(中略)によれば、被告人が、昭和三四年五月二五日頃、第一組合の組合員でもなく、同組合から採捕の許可を受けていない小田三郎ら四名に対し、太田川地区漁業協同組合名義の「組合員之証」を交付し、小田、住木に対しては、渡康磨名義の「組合員之証交付について」と題する文書を渡たして、出漁してよいといつた事実、さらに小田ら三名の者が公訴事実記載の日時、場所においてアユを採捕した事実(但し、弘法守は、当該日時、場所で採捕していない)を認めることができる。

(三)  第二組合は前記のように設立認可の申請を取下げており、勿論法人格を取得していないので、漁業権の帰属主体たり得ず、漁業協同組合としては活動はできない。仮に法人格を取得した場合でも、既存組合に対し共同漁業権の共有請求ないしは内水面管理委員会に入漁の裁定を求めて後、その認容ないし裁定を経てはじめて組合員は適法に採捕行為をなし得るものである。従つて、第一組合員でない被告人が第一組合から採捕許可も受けず、自らアユを採捕した第一の事実および何ら第二組合としては権利もないのに組合長を僣称して第二組合の「組合員之証」を前記小田らに交付し、第一組合側からみるも何ら権限のない同人らをしてアユを採捕するように働きかけ、現にこれを採捕させた行為は、第一組合の漁業権を侵害する違法な行為といわねばならない。

四、しかし、被告人が公訴事実記載のような行為をなすに至つた事情をつぶさに観察すると、まことに止むを得ないものがあつたものと考えられる。すなわち、前示二および三項掲記の各証拠ならびに第三回公判調書中証人照屋幸一の供述部分および証人吉岡孝三に対する裁判所の尋問調書によれば、(イ)先にみたようにアユ漁解禁の六月一日を目標に設立認可申請をしていた第二組合がその申請を取下げた理由は、県当局から前記解決案が示される過程において過去二年間のいずれかの年度において採捕の実績があつた者に対しては、昭和三四年度の採捕の許可が与えられ、同年六月一日から入漁できるよう取りはからうという県当局の約束があつたからであり、従つて、この段階では第二組合としては昭和三四年度のアユ採捕許可がおりず、入漁できなくなるといつた緊急事態の発生については、全く予期していなかつたこと、(ロ)許可証を受ける前提として、第二組合側は過去の採捕実績を証する書面を申請書に添付し、県当局を通じて、第一組合に提出することになつていたのに、これは履行されなかつたが、その理由は、前記二の(二)の(イ)のように「組合員許可証」および組合長佐々木節吾の名刺が相当多くの人達に手交されておつて、その実数の把握は、第一組合の台帳の不整理、不備なため極めて困難で、しかも右申請が第一組合の組合長佐々木が予想した数をはるかに超えた四〇〇名近くもあつたので、佐々木組合長が「一〇〇名もないはずだ、わしが一々審査する。」と主張するに至つたため、第二組合としては佐々木がこれ迄除名、失格処分或は鑑札交付につき同人の派に属する者ならびに同人派に好意を寄せる者のみを優遇し、全体的に納得のいく公平な取扱いをして来ていなかつたという同人に対する強い不信感から今度も解決案条項中の「審査」に名をかりて、同人から恣意、専断的な選択をされ不利益を蒙るのではないかということを虞れると共に、過去における採捕の実績を証明する許可証等の証拠書類を第一組合に渡すことになれば自己らの唯一の証拠をなくされることになるかもしれないものと強く危虞し右佐々木の主張に反対し、右過去の実績を県当局において確認してほしいという意味で、右証拠書類を県当局までは提出するものの第一組合に渡すことはできないと主張して譲らず、遂にこれを県当局に呈示をしたが第一組合には渡さなかつたこと、(ハ)県当局は右解決案を示して両組合の同意を得、第二組合をしてその設立認可申請を取下げさせた後、前述のように第一組合からは該当者は一〇〇名もないはずだ、その程度で解決案に同意したのだと主張されるに至つたため、第二組合に対して右解決案条項の単なる文字解釈で、右のような第二組合の態度に対して何等の理解を示すことなく第一組合に対する右証拠書類の提出方を要求し続けるのみであつて第二組合にとつて最も重要な組合設立認可申請の取下げまでさせていながらその要求にもそえず、話し合いは並行状態になつたままとなり、解禁日までに問題解決の見通しがつかなくなつたこと、(ニ)解禁日も迫り、被告人を含めて過去に採捕の実績があり、しかもその生活を短期間(六月から八月)までのアユ漁に相当程度依存していた人達の生活を維持確保するためにも、何らかの方法で行き詰りを打開し、解禁日ないし解禁日後早々に県当局を解決の線まで踏切らせる必要があつたこと、(ホ)しかるに国民の福祉のための公平な行政機関たるべきはずの県当局は右問題の解決が右のように容易ならざる事態に直面したことを認識しながら、積極的に、第一組合をして第二組合員の入漁をある程度許可させるように第一組合に対して働きかけるとか、あるいは第二組合の設立を急拠認可して同年度のアユ採捕ができるようにするとかなどして行政的になお第二組合のためにも努力する余地があつたものと考えられるのにかような右問題解決に対する深甚な配慮を怠り同年六月下旬頃無責任にもこれから手を引いたこと、(ヘ)被告人をはじめ公訴事実第二記載の小田ら四名はいずれも過去においてアユ採捕の実績があつたもので右問題が順調に解決しておれば当然右解決案条項に従つて前年度に引続き採捕の許可を受けてアユ漁が出来たものと推認されること、などの諸事情を認めることができるところであり、以上の諸事情のうち特に(ロ)の事情については、翌昭和三五年五月三一日右第一組合の他に新たに太田川地区漁業協同組合が設立認可され、同年八月三一日内水面管理委員会から二六七名に対し入漁裁定がおりている事実から推して、本件において第二組合側が採つた措置ないし態度も十分肯首できるところであり、また被告人の行為の時期はこれから設立認可の再申請をしたとしても、その認可が昭和三四年度の解禁日に間に合うはずがなく、それかといつてアユ漁期の短いこの期間を手をこまねいて何時解決するかも分らない右問題の解決するまで出漁を待たなければならないというのも、年間生活費の相当程度をアユ漁で獲得している者にとつては堪え難い苦痛であるという点など綜合して考えると、前記のような漁業者および第二組合設立発起人という責任者の地位にあつた被告人としては、前記諸事情の下において公訴事実第一記載程度のアユを自ら採捕し、右第二組合傘下の小田らに対してアユの採捕方を働きかけて公訴事実第二記載程度のアユを採捕させた各所為は条理上いずれもまことにやむを得ざるに出たものであつて、被告人には当時他に適法行為(此処では自らアユ漁をせず、また傘下組合員に対してもアユを採つてよろしいと働きかけないという不作為のみが適法行為である)を期待することができなかつたものと認めるのが相当であると解するので結局、右被告人の各所為はいずれも期待可能性がないものとして責任を阻却し、罪とならないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条前段に従つて無罪の言渡をする次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田久次)

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